亀戸香取神社

鎮座地 東京都江東区亀戸3‐57−22


御神祭 経津主神 相殿に武甕槌神 大己貴神
      (ふつぬしかみ あいでんにたけみかづちかみ おおなむじかみ)
 
 香取神社の御神祭経津主神は千早振る神代の昔天照大神のご命令により、鹿島大社と共に
豊葦原瑞穂国(日本の国)平定に手柄を立てられた威霊優れた国家鎮護神として仰がれる我国武将の祖神であります。然も御本宮が神武天皇の御代に東国下総に鎮座されましたことは非常に意義あることで、日本国守護を固めた事になり、更に農業深い関係にあり、国土開発に多大の功績があった産業の祖神あります。
 故に大和朝廷におかれても殊に崇敬が篤く、中臣氏(後の藤原氏)は香取・鹿島両宮を氏神として忠誠を捧げ崇敬を尽くされたのであります。

御由緒

 当社の創立は天智天皇4年(665)、藤原鎌足公が東国下向の際、この亀の島に船を寄せられ、香取大神を勧請され太刀一振を納め、旅の安泰を祈り神徳を仰ぎ奉りましたのが創立の起因であります。
 天慶の昔平将門が乱を起こした時、追討使俵藤太秀郷が当社に参籠し戦勝を祈願して戦いに臨んだところ、目出度く乱を平らげたので神恩感謝の奉賽として弓矢を奉納、勝矢と命名された。現在でもこの故事によろ勝矢祭が5月5日(武者行列)に執り行われています。
 以来益々土民の崇敬が篤く郷土の守護神というばかりでなく、神徳が四方に及びましたので、葛飾神社香取大神宮と称え奉るに至りました。
 元禄10年検地の節は改めて社寺の下府があり、徳川家の社寺帳にも載せられ古都古跡12社の中にも数えられております。

御神徳

 前にも述べたように大神は天より国土平定に当られ、日本建国の礎を築かれた大功神であり、歴代の天皇をはじめ源頼朝、徳川家康・秀忠・頼房等の武将の篤い崇敬を受け、又塚原卜伝や千葉周作をはじめ多くの剣豪の崇敬も篤く、現在でも武道修行の人々は大神を祖神と崇めております。
 最近ではスポーツ振興の神として広く氏子内外を問わず参拝されております。その他交通安全・家内安全・厄除・開運祈願等御神徳の随に毎日このような趣旨による御祈願を受け付けて御奉仕いたしております。



 

江東区指定有形文化財(絵画)

紙本淡彩道祖神祭図 歌川広重筆 一幅
 、道祖神祭図は、本紙を掛け軸に表装したものです。本紙は縦33.6p横40.6p。表装は縦158.0p横47.0pです。
 香取神社の道祖神祭は毎年正月14日氏子の子供たちが宝船をかつぎ、亀戸から両国辺りまで練り歩いたもので、享保の頃から始まり、明治初期まで続きました。その光景は「江戸名所図会」の挿絵に載せられ、「東都歳時記」にも記載されています。本図は人物や宝船を墨で描き、朱、青で淡彩を施しています。作者は浮世絵師・歌川広重(1797年〜1858)で、嘉永5年(1852年)以降、広重の円熟期に描かれた作品とみられます。
 本図は江戸時代の香取神社の古い行事の様子をよく伝え、作者が著名な広重であること、また戦災を免れて区内に伝えられたことなどから、貴重な作品といえます。
      平成9年9月  江東区教育委員会





平成13年4月吉日 香取神社宮司 香取経雄
亀が井建設実行委員会 委員長   高島  昭
                 神社総代会 18名

趣意書

 亀戸を代表する香取神社は1400年の歴史を持ちこうとうくでも最古の神社で歴史の重みを感じます。
 この度亀戸の地名の起りとされている亀が゙井(井戸)を香取神社境内に再興し、併せて恵比寿様・大黒様の石神を祀り亀が井戸の水を掛けながら諸祈願を行い御利益を頂くという名所を作りたいと考えております。
 そして多くの方々が御参詣されることを願っております。
 香取神社を訪れる方々が亀戸の発展につながるものと確信しております。
 亀戸に亀が井の再興と水掛福神建立の趣旨を、ご理解頂き、ご浄財のご協賛、ご支援を伏してお願い申し上げます。

 香取神社(江東区亀戸3丁目)の氏子らが3年程前から構想を練ってきた伝説の井戸【亀が井】の復活が実現する。同神社本殿に向って右側に設置することが正式に決まり、11月8日に関係者約30人が参列して地鎮祭と鍬入れ式を挙行、工事が始まった。平成15年3月に完成の見込み。
 
復活する亀が井は、地下80b程掘って水を汲み上げる部分と参拝者が水に触れられる部分からなり、大黒天と恵比須の石像と水をたたえる石の亀が設置される。水は都の規制などで飲むことはできないが、手にかけたりするのは自由。また、災害発生時には緊急用水として活用される予定だ。全体のデザインは昨年(平成13年)5月の神田の「付け祭り」で、街中を引かれた巨大な赤ちゃん像などを手掛けている彫刻家の石井寿郎さん、制作は宇野石材(墨田区亀沢4丁目)。総工費は1,500万円あまりになる見通しで、すでに平成14年春から氏子組織などを通じて浄財を募っている。
 亀が井は「
亀戸」という地名の由来の一つと伝えられており、かって、同神社近くの梅屋敷(1910年の水害で廃園になった)にあったとされる。「新編武蔵風土記稿」によれば、亀戸はもともと亀型の島だったため【亀島】と呼ばれ、その後、陸続きになり村落ができて【亀村】となり、さらに【亀が井】と混同され【亀井戸】、【亀戸村】へと変化したという。
 同神社氏子総代の1人で井戸建設委員会委員長の高島昭さん(75歳)『亀沢6丁目比喜氏町会長』は、【自分たちの町の由来を後世に伝えたい「新たな亀戸名物をつくりたい」という思いから設置を決めました。どうせ作るなら恥ずかしくないものをと頑張っています】と話している。






        平成14年8月の祭り(亀戸4丁目)           平成15年の初詣               


 香取神社のご加護のもと、この亀戸
大根(別名・お多福大根)の銘鈑をさす
る事によって多くの福をつかむ事が出
きると言い伝えられております。




第1回 古武道奉納演武大会 平成15年4月29日(火)

 国際武道院・国際武道連盟(徳川康久会長)所属の天真正自源流(河端照孝代表)、無双直伝英信流(東瀬啓二代表)、双水執流(臼木良彦代表)の猛者約30人が、真剣居合道や木刀術、試し斬りなど気迫に満ちた妙技を午前午後の2回、合せて約1000人の見物客があった。

 今回初めての大会は、同神社所蔵の刀剣類を長年管理している研ぎ師が5年ほど前の大晦日に同神社で仕事をしていた際に心臓の不調で倒れたが、処置が早く、回復したため「
これも神社の御利益のおかげ。何かお礼がしたい」と、知り合いの古武道関係者に話をしたのがキッカケで実現した。


  八広の爺ちゃん

 
亀戸天神社

三輪里稲荷神社