香取神社






鎮座地
 
 東京都墨田区文花2丁目5番8号

御祭神

 經津主大神≪ふつぬしのおゝかみ≫または(御名・伊波比主大神≪いわひぬしおゝかみ)

御由緒

 經津主大神は天孫降神に先だち天照大神の勅を奉じ武甕槌神≪たけみかづちのかみ≫(鹿島の神)と共に出雲に降り大国主命≪おゝくにぬしのみこと≫と御交渉の結果国土を皇孫に捧げ奉らしめ次いで国内を平定して日本の建国の基礎を築かれた武勇に優れた神様で国運開発・民業指導・海上守護・縁結び・安産の神様、更には武徳の祖神として廣く仰がれております。
 當神社は、永萬元年(1165年)の葛西御厨の文書、應永5年(1398年)の葛西御厨注文等に鎮守村名が見られ、平安時代の末期、當地開拓のために千葉県香取郡から六軒の人々が移住し、小村井の氏神様として鎮守しました。
 大正5年頃まで老樹欝蒼と繁茂し圓形の森林をなし、鳥類はもとより狸の類も巣を作り、隣地には小村井梅園が存して明治43年までは四季の遊びの場所ともなりました。
 現在の御社殿は、昭和29年の建立で、本殿は流れ造り・拝殿は入母屋流れ造りの総桧造りです。

主なる御祭事

歳旦祭  1月 1日   例大祭  9月第一の土・日曜日
節分祭  2月節分日   諏訪神社祭 10月27日
祈年祭  2月17日   七五三祝祭 11月15日
幣帛祭  3月16日   新嘗祭 11月23日
大祓  6月30日   月次祭 毎月1日・15日
  12月31日   二十六夜 1月・10月の26日

   



 当社のある土地一帯は小村井村と呼ばれ、応永五年(1398)の「葛西御厨注文」によると、葛西三八郷の一つとして「小村江十五町」と見え、この土地の開拓の古さがわかります。
 香取神社はこの開拓者の氏神として永万元年(1165)に創建され、以来、村の鎮守として崇められてきたと言われています。祭神は経津主の神で、武神であると同時に産業開発、開拓の神であることから、これら開拓者に祀られたものでしょう。もちろん香取神宮(千葉県)の分社です。

 境内の摂社諏訪神社前にあるこの水鉢は、文政11年(1828)の銘があり、かなり大型のものです。この水鉢は、もと当社本殿にすえられていたものです。銘を拾うと、「禊盥 文政11年戌6月吉祥日 氏子中 星塢泰鐘  書」とあります。
 水鉢には一般に「奉納」「奉献」と刻まれますが、とくに「禊盥」としたところに、この石造物の役目を端的に物語っています。造作も丁寧で刻印も闊達で優品と言っていいでしょう。
 石造水鉢は、水盤・手水石などとも呼ばれ、神仏の前に安置され参拝者が手や口を洗い清めるものです。これは古代から行われていた斎戒沐浴の名残で、けがれを祓うために川の水で体を洗い清める行為が簡略化され、神仏の前で水鉢などが常備されるされるようになりました。篤信者たちが神仏前に奉納する風習が江戸時代の後半には全国に広がりました。
 区内の水盤は、イ・庚申信仰に関するもの ロ・墓前・霊前に奉納されたもの ハ・神社・仏閣に奉納されたもの ニ・その他に大別することができます。
 この水鉢は安山岩製で、寸法は幅121cm、奥行60cm、高さ50cmです。

 本殿玉垣の石組にはめ込まれて、左右に安置されていますが、本来は玉垣の一部として奉納されたものと思われます。左が阿形、右が吽形ですが、両者とも頭部を左に、尾部を右にした非対称的な図柄になっています。
 慶応4辰年(1868)正月の銘があり、旧小村井村の氏子中が奉納したものと考えられます。

 摂社三峯神社前にあり、「文政13年(1830)寅八(以下欠)の銘を持ち、当社の石燈籠では最も古いものですが風化による剥落が激しく、銘文も十分読み取れないのが惜しまれます。
 春日型の石燈籠であって、火袋は雄大であり、竿の部分と等しいことは、ある種の落ち着きを見せます。なお、近年隣地にあった「小村井梅園」にちなみ、境内に「香梅園」を開いています。


梅まつり


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   長浦神社

 隅田稲荷神社