打上花火の色と形
花火は14世紀後半、日本でいえば室町時代に、イタリア中部にあるフィレンツェという町で生まれたといわれる。キリスト教のお祭りで使われ、世界に広まった。
花火は、今の中国で7世紀に発明された「黒色火薬」から作られ、その黒色火薬は、絹を運ぶ『シルクロード=Silk Road』という道を通って中国からヨーロッパに伝わり、フィレンツェに渡って花火になった。
日本で花火を楽しむようになったのは、江戸時代のことです。江戸幕府を開いた徳川家康が1613年、イギリス国王の使いが持ってきた花火の打ち上げを見たという記録が残っている。将軍家のほか、尾張や紀伊の御三家などが、花火を競って打ち上げるようなり、落語に登場する『鍵屋』『玉屋』などの花火師活躍した。
1732年、大飢饉が発生し、たくさんの人が死んだ「コロリ」と呼ばれたコレラも広がり、8代将軍の吉宗は翌年、死者を慰め、悪い病気を追い払おうと、「両国川開き」という花火大会を開いた。これが『隅田川花火大会』の始まりです。
その花火は、色、光、形、音、煙・・・・・の芸術といわれる。江戸時代はオレンジ色しか出せませんでしたが、今は黒以外の殆どの色が出せるそうです。
花火は、火薬を詰めた『玉』を筒の中に入れ、点火して打上、筒の底に火薬が敷かれていて、点火されるとガスが発生し、ポンと上空へ『玉』を押し出します。
その玉は『星』と呼ばれる、丸めた火薬の粒がたくさん入っている。『菊の花』のように見える花火の場合、この星が燃えながら飛び散って、花の形を作り、さまざまな花火の形は、この星をどう詰めるかによって決まる。
花火作りは、星を造って乾かし、星を半球の容器に並べ、干しを飛び散らせる「割り火薬」を詰めるという、たくさんの行程作業がある。最後に、半球と半球を合わせて玉にする。
最も小さいものは直径6cm、重さ50gで、60mの高さで直径30mに開き、最も大きいのは直径1.2m重さ320kgもあり、650mの上空で直径700mの花を開きます。
花火は数秒の命ですが、大きいものを作るには1年がかりのものもある。日本の花火の特徴は、丸いさまざまな色の花が咲くこと、花弁の色が黄や赤に変わること、赤、青、黄など一つの花火が2重3重の円を描く。
赤、青、黄、緑、金−−−−−−−−−−−−。さまざまな色がありますが、昔からだせたわけではなく、江戸時代は火薬に炭を混ぜたオレンジ色の花火しかない『和火』と呼ばれる種類で今でも使われ、打ち上げられている。
明治になって、アルミニウムなどの金属が外国から入ってきて、これを混ぜ、色々な色が作り出せるようになった。『洋火』と呼ばれる種類だ。
『赤』は炭酸ストロンチウム、『黄』はしゅう酸ナトリウム、『青』は酸化銅などを加えていて、絵の具のよな出したい色の金属を混ぜている。
しかし、大正時代までは『赤』なら赤、『青』なら青と1色しか出せなかった。そこで、面白さを出そうと『イ』『ロ』『ハ』の文字などを描く工夫を凝らしたりした。
日本の花火は『玉』と呼ぶように球形で、星も球形で、このため上空で丸く開く。ところが、ヨーロッパやアメリカの花火は『円筒形』で、星も主に円筒形で、この為丸くは開かず、ほうきや柳の枝が垂れ下がったような形に開く。
楽しみ方の違いもあり、日本人は花火そのものを楽しみますが、欧米などでは新年や独立記念日を盛り上げるために打ち上げられる。
日本は作り方を輸出してもいます。中国では今、ヨーロッパなどに花火を輸出していますが、30年前、日本の花火師が現地で作り方を教えたそうです。このため、中国の花火は球形で日本風です。
国内には、花火を作る会社が約130社あり、各社が集まり協会を作り、毎年、花火の安全な打ち上げ方の講習会を開催している。
花火打ち上げるには、花火を作る会社で働き、きちんと講習を受けた人しか扱えない。現在、花火の打ち上げる資格を持った人は、国内に15,000人いる。
最近の花火大会は、コンピューターを使って離れた場所から遠隔操作で、1番いい間合いで打ち上げを行っている。
今、『赤』『黄』『緑』『青』などの原色だけ出なく、『黄緑』『レモンイエロー』『ピンク』といった二つの色の中間色も出せるようになり、この夏の『横浜大会』では今人気の『あごひげアザラシのタマちゃん』を浮かび上がらせる新作も登場した。