三輪里稲荷神社
御祭 神倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
真言宗知山派の正覚寺と背中合わせのところにあり、慶長19年(1614年)、出羽國(山形県)出羽三山(月山、湯殿山、羽黒山)信仰の修験道場のひとつの湯殿修験者といわれた大日坊の長である僧が、羽黒山の出羽神社に鎮座する倉稲魂命を大畑村の総鎮守として、羽黒大神の御霊の分霊を勧請し祀ったのが、三輪里稲荷神社である。
ここで、稲荷の神験あらたかなことを説き、荒地を開墾していた住民の協力を得て、祠(ほこら)を建てた。
以来、三輪里稲荷神社は豊作を祈る農民の信仰を集め、この地、大畑村(現在の八広、東墨田、立花の一部)の総鎮守となったのである。
通称、こんにゃく稲荷といわれるほど、この稲荷を有名にしているのが「こんにゃくの護符」である。この護符はむかしから湯殿山の秘法で、これを煎じて飲むとノドの病に効くといわれていた。
この「こんにゃく」の護符の効きめがためされたのは、神社を建立した頃。
この当時江戸市中に悪病が流行ったため、大日坊長はさっそく、湯殿山の秘法「こんにゃくの護符」を串に刺して住民に授与した。そのため、住民たちは悪病にかからなかったという。霊験が通じて、住民たちの喜びはひとしおだった。
このことがあって以来、初午にはヤクよけに「こんにゃく」の護符が配られるようになり、住民たちはこぞってこの護符を貰いに行くようになった。
たまたま、2月は1年中で一番寒い時期で、カゼなどのノドの病気が流行る季節。この「こんにゃく」の護符は、今でもなお、その効きめを願う人たちの信仰を集め、初午の日ともなると、遠く茨城、千葉方面から訪れる人も少なくないという。
2月の最初の午の日を初午といい、その日は、お稲荷さんのお祭りの日です。各地の稲荷神社では、赤や白のノボリやかけ行燈を連ね、また、神の使いといわれるキツネの好物「あぶらげ」をお供えたりします。稲荷神社の祭神は、五穀の神様である倉稲魂命(くらいなたまのみこと)で、むかしから特に農民や商人の信仰が厚いようです。
もともと農耕地であった墨田区内にも数多くの稲荷神社だありますが、八広3丁目にある「三輪里稲荷神社」は、附近の人たちから「こんにゃく稲荷」と呼ばれて、親しまれています。
毎年、年の暮れ恒例の「NHK紅白歌合戦」が終わると、我が家の横丁がそれまで静まり返っていたのに、ガゼンひとけを感じると新年の初詣に行く人たちなのだ。
私は、コノカタ1度も初詣に出かけたことがありませんが、家族の言うことには、篝火と甘酒が振舞われるとの事年々歳歳人出が多くなり、けっこうな賑わいだそうです。
たしか、間違い無ければ正月のかどまつ飾りや竹、輪飾りなどを燃やしていたような記憶もあります。
2月になるとの初午の日に、疫病(特にのどや声の病)のお守りとして「コンニャクの護符」を受けることができます。
出羽国(山形県)湯殿山の修験者大日坊が、大畑村(現在地)の鎮守として羽黒大神の御分霊を勧請し、三輪里稲荷大明神とした。
通称コンニャク稲荷と呼ばれて、人々の信仰を集めてきた。初午の日に当社の「こんにゃくの護符」をいただき煎じて服用すれば、のどや声の病に効くとされる。
子供の頃、よく友達と神社の境内で遊んだものです。ある時、誰ともなく時の大横綱羽黒山がこれから来ると言うので暗くなるまで待っていたが、来たのは、修験僧だった。誰かが、「はぐろやま」から修験者の話をすりかえて、その頃見るスポーツと言えば野球か相撲しかない頃なので、大横綱「羽黒山」に一杯食わされた。苦い経験があります。
なかには、毎月1日とかと日を決めて、雨の日も、風の日も、毎回欠かさずお参りをしている方もいるようです。
夏休みになると、境内で毎年ラジオ体操が始ります。私も兄弟5人で毎朝カードを首にかけて休みなく通い、最後の日にはノートや鉛筆などを貰って得意になってたものです。
八広あずま町会の神輿は昭和27年9月7日、西七神社睦の手によって新調され、睦長が大熊仲次郎氏、副睦長が小用繁次郎氏で、祭礼はこの睦によって運営されていたが、後に睦が解散し町会1本立てで奉納されるようになった
9月に入ると、わが町の氏神様、三輪里稲荷(通称、こんにゃく稲荷)の、秋祭りがの第2土曜、日曜日にかけて盛大にと書きたいところですが、今年は残念なことに陰祭りということで、5町会連合の大、中、小神輿もダシも出ませんが、私の住む八広あずま町会だけは、宵宮に大神輿を神輿同好会の「八廣会」が中心なって、八広中央通り央ほどのガソリンスタンド前(佐山商店)から本多地所前までを往復します。
「八廣会」は、小川房男八広あずま町会副会長が年々神輿を担ぐ、担ぎ手が少なくなるを見かねて町内に呼びかけ自ら会長となり、老若男女60名を超える会員が集まり、昨年秋の大祭の後、岩井現会長にバトンタッチし、今では氏神様の祭をはじめ各所の祭に参加しています。
今年は1年間当番町会として、神社の行事執行切盛りには責任を負うという、何時もとは違う年です。
祭の交通、警護、総代会の運営、護符作り(初午の日に当社の「こんにゃくの護符」をいただき煎じて服用すれば、のどや声の病に効くとされる)など、1年交代で各町会(八広あずま町会、西八町会、親和町会、三丁目町会、三輪里町会)が務めます。
これが、三輪里神社で行われた、今年(陰祭)の様子です。
五代目宮司
たまたま見かけた“荒川の人”NO.51“ほっとたうん”(1993年3月号)に、松林桂子宮司の人なりが掲載されていた。「小さい頃から踊ったり歌ったりするのが好きで、一時は宝塚にあこがれたこともあり、学校の先生になろうと思っていたのですが、音大を受験する頃になって、少し遅いのですけれど、声楽を専門にやったら、とピアノの先生に勧められ、国立音大と大学院で勉強し、昭和55年大学院2年のとき、ドイツのオットマール・スゥイトナーが来日し、その時ヘンデルの「アチスとガラティア」で主役に抜擢されたのです。以来、二期会を中心に数々のオペラをやり、それが仕事になり、数人でグループを作って、全国の学校巡りもやりました。
一つのオペラの練習に何ヶ月もかかるので、他に定職は持てませんが、こうして、ご近所から生徒さんを集めて、一緒になって声を出しています。国学院大学で講習を受けて取った宮司の資格も持っているのですよ。
家庭は結婚してから移った東日暮里のマンションですが、主人も音楽を?いいえ、ふつうの会社員ですが、音楽好きです。赤ちゃんは?1992年10月生まれました。明弘と言い、生粋の荒川区民です。昨年2月、サンパール荒川で、モーツァルトのオペラ「魔笛」が上演されました。この時、主役の“夜の女王”を演じたのがソプラノの松林さん」。という記事を読んだ。なんと今では、「こんにゃく稲荷」で知られる三輪里稲荷神社の宮司さんとして氏子総代はじめ、地域住民の人気を一身に集め、時にはその歌声を披露する立派な神主さん。