牛嶋神社

(向島1丁目4番6号)


 

●祭神 : 須佐之男命・天之稲日命

●清和天皇の皇子・貞辰親王「王子權現」・江戸時代に鬼門守護の社となる。

●撫牛 : 先の鳥居をくぐると右手にこの撫牛が見えます。これは自分の体の悪い場所を撫でるとよくなると言われる像です。

●小神社と社務所 : 本殿の右側に、人の背丈位の小神社とその右横に社務所があります。

●獅子の像 :本殿前の鳥居をくぐると左右に対をなす様にこの獅子の像があります。少々壊れていますが、実際に見ると格好良いです。

●古くから、付近一帯の総鎮守で各大神輿の連合渡御が行われます。(大祭のときは鳳輦牛車の巡行があります。)今年はかげ祭りです。

 


         (鳥居と本殿)

          (宵宮の本殿)


 区内南部地域の北部・中部・西南部の大部分が氏子で、例大祭は9月13日〜15日。本祭りは、西暦の2と7の年で、5年に1回。
 古くは「牛御前」の名で通っている。「江戸名所図会」(天保7年)に「同所(三囲稲荷神社)北の方にあり、別当は最勝寺と号す。牛島の総鎮守にして、祭礼は隔年9月13日、北本所石原新町(今の本所2丁目)の旅所へ神幸ありて、同15日帰輿す」とある。
 また、本所小泉町(今の両国2丁目)で育った芥川竜之介が、ドイツ帰りの友人と出かけたある寄席で女剣舞を見て「・・・・・この一場の女剣舞は、忽ち僕に幸福なる少年時代を想起させた。何でも明治30年頃の「牛の御前」のお祭りなどには、しばしば、かう云ふ女剣舞の見世物小屋がかかってゐたものだある」。と随筆「寄席」(大正13年)に書いているところをみると、子どもの頃、牛島神社の祭礼の日には、小泉町から向島まで足を延ばしていたものであろう。
 関東大震災前までは、牛島神社は現在の隅田公園の北端あたりに位置していたが、その付近の隅田川沿いには、蓮田が多く、祭礼に集まる子供たちがよくそれをとって食べたという。
 2001年の例大祭は9月14、15、16日の3日間に渡り行われます。1日目の14日は都合がつかず、行けませんでしたが、2日目も出かける用事があったので、朝9時に我が家を自転車に乗り境内に行き本殿の写真を取り、本所吾妻橋あたりの写真を撮り駒形橋を渡り、雷門、松屋前でも写真を撮りデパートの横に置き、地下鉄浅草線で表参道で半蔵門線に乗り換えて終点の中央林間までいった。
 改札を出て駅前広場に出ると、いきなりジェット機の耳を劈(つんざ)く、聞いてはいたが想像を遥かに超す、本当にダダダダ・・・・・・・・・・・・。物凄いこれ以上の音は出ないだろうという、一瞬腰を抜かしそうになった。
 それでも気を取り直して1歳の誕生日を迎えた孫の所へ急いだ。その間も上空は輸送機や戦闘機(タッチ、アンド、ゴウの訓練)が四方八方から飛び交っていた。
 マンションの中に入り、部屋の中は防音がしてあるのか幾分かは静だったのが救いだった。孫の誕生祝の贈り物を開き、喜ぶ姿を見ているときにも、容赦無く轟音を立てていた。
 私は、これからココに住み着くわけではないが、この状態が何時までも続くのなら娘夫婦一家の生活に一抹の不安を覚える。
 この日の、米軍基地には、11日のテロに依るニューヨークの国際貿易センタービル(南北)へ相次いで乗客を乗せた旅客機が北から南から激突し、爆破倒壊、ワシントンの3軍中枢ペンタゴンにも旅客機ごと突込み炎上するという前代未聞の大事故が発生した後だったことが原因か。
 遅い昼食を済まし、孫と遊び、何時も通りの昼寝をし目が醒めると4時近くに成っていた。お茶を飲み、車で駅まで送ってもらい、水天宮行きの電車に乗り表参道で乗り換え終点浅草に戻り、自転車で言問橋を渡り牛嶋神社に着いた。

夜、7時半過ぎに境内に行って見ると人と屋台で、いっぱいだったがヨウヤクノコトデ神楽殿の前まで行きました。
 すると、舞台の上ではマジックショーの最中だった。芸人は一生懸命白いハとを出しますといっておチャラケていた。見ている子供達はいろいろ注文をつけ、そのやり取りが、息ぴったりの掛け合いをしているかのように面白かった。
 最初はハトの形をした白いものをハンカチの中から出したが、見ている子供達は違う違うのコールで、それではと今度は演者自身が白い布をまとい、両手を広げてバタバタさせて見せたが、やはりブーイング(本物の白いハトを出せと)の嵐だった。
 すると、神妙な顔つきになり、おもむろに、本物の白いハトを出した。見ている子供達が、やっと納得した。今度は、その白いハトを、おれに、クレといい出した。やるようなふりをしながら舞台裏に引っ込んだ。

 


 

 今日は朝から曇天で時々激しい雨が降ったり、霧雨が降ったりで傘を持参して自転車で走りまわったが、思いのほか、御祭りのお神輿と出交わす事が少なかった。
 大相撲は9月場所の中日だった。今場所好成績の琴光喜が国技館に到着した所だったがカメラを向けるのが、遅く写真は取れなかった。
 江戸博物館の前を通ると上から、にぎやかで威勢のイイ音楽が流れて来たので3階広場に、いって見ると運悪く、それが最後のかっぽれを踊っている音楽だった。
 上の写真は、終えて引き上げる、(のぼりばた)をかかげて意気揚揚と引き上げる所だった。